炎のTOEIC奮闘記!verⅡ

TOEICの勉強記録を綴っていきます!

「物事を極めるとはどういったことか」を体感している人は強い!

以下、自分の感想です。

 

何も悪気はなく、そうでないとだめなわけではないので、変な解釈はしないでくださいね。

 

 

 

これは勉強に限った話ではないのですが、スポーツでもピアノでも、特定の物事を「練習してテクニックをマスターして上達させる」ことを子供の頃から、もしくは大人になってからでも体得した人というのは、異なることをしても強みがあるなぁと周りのできる人たちを見ていて感じます。

 

 

正直、取り組むジャンルや真剣になれるものは何でも本人ができるものであればいいと思うのですが、強いて言えば、万人が同じことを習得するのに望ましい特定の物事について。

 

それを、しっかりと技術を習得するまでやった人。

 

「やったけどダメだった」ということではなくて、「目標を達成できるまでやる、そしてやりきる」ことができる人。

 

それがどういう感覚かを体得している人。

 

要するに、「成果を出す」ということができている人。

 

 

もっと具体的にいうとすれば、少し違和感のある書き方かもしれませんが、

 

「ごく普通」に生きている人たちが、「何をそこまで!!!」と言ってしまうほどの量を、それもかなり深いところまで、それなりに困難なことがあったとしてもどんどん突き進んで、奥深くにある努力したものしか体得できないものを、しっかりとホールドできる領域にまで当たり前にやる習慣や考え方を身につけている、ということだと思います。

 

最近で言えば、オタクと同じようなことなのかもしれません。

 

 一般の人から、その物事に興味のない人からすれば、「そんなところまでしなくても」って思えるようなことです。

 

少し込み入ったことを考えるとすれば、一般的なラインから、上級者やいっぱしのレベルになる基準点というのは、どの分野でもあると思われます。

 

 

その基準点をクリアするマインドというのは、仕事一つ取っても培うことができるため、そのマインドを身につける!という意識を誰もが持つことができ、かつ、それを実践していく土壌というのは日々様々な場面で転がっているわけです。

 

問題は、それにどうやって取り組むか、どこまで達成するかの最低ラインを自分の中で設定して、少なくともそれを超えられるように意図して動く、という点に集約されると思います。

 

しっかりと達成できる人たちは概してその最低ラインが他の人より高いと思うし、他の人よりも早くこなす傾向があるように思います。

 

そのマインドは何も仕事だけに限った話ではありません。

 

そのマインドを身につけてさえしまえば、何を身につけるときにでも応用できるように思います。

 

 

そのマインドを少し具体的にいうとすれば、「極めるマインド」でしょうか?

 

職場で仕事をしていても、周りの人に目を向けると、適当な仕事しかできない人は少なからずいます。そんな人に、他のことを任せられないと思うのは当然だと思うのです。

 

正直、仕事一つとっても、しっかりとこなしていく安定感のある人というのは、「目標は達成するもの」というマインドを持っていて、物事に取り組む際にいわゆる「核」となる部分を自分の中に秘めている人は多いと思います。

 

 

結局、口で「あれをやりたい」、「これをやりたい」というだけではなくて、しっかりと推進力を持って「核」となる「極めるマインド、達成するマインド」を持つ必要があると思うのです。

 

そこには、何も新しいことを始めることなんてないと思います。

 

日々、日常のことをしっかりとこなしていく、今までより少しだけ自分に与える基準を厳しくしてみる、など

 

そういうことの積み重ねをしていけば、

 

万人が後天的に身につけられる能力

 

だと僕は思っています。

 

初期能力が大事なのではなくて、いかにして目標とするところとのギャップを埋められるか、という思考にもっていけるかどうかが重要だと考えています。

 

何かをある程度まで極めていく過程において、壁が幾度となく現れてくるのは当然です。

 

 

 

 

 

 

遥か昔のブログで、閾値のことを書いた記憶が頭の片隅にある。

 

物事の上達に閾値というのがあると僕は信じている。

 

閾値を超えたら、現状が急に変わる。

 

具体的にいうと、液体を加熱していくと沸騰する瞬間がいきなり現れる。

飛行機は、速度を上げていくとある速度以上で突然離陸する。

 

液体は、沸騰が始まる直前で加熱を止めると、今までも何もなくこれからも何もなかったかのように見えてしまう。

飛行機も離陸できないとう状況であれば、車や電車と同じ。

 

大事なのは、ある一定の何かを超えた時に成果が見えることにあると思う。

 

テニスの松岡修造だって

『100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう。』

 

と言って表現している。

 

通常、これくらいでいいかと一般的に思われる先に「急激な飛躍」、つまり閾値があるように思う。

 

閾値に突入するまでには、絶対にやってやるという覚悟の考えが根底に必要で、それが勉強に向かう思考の「核」となる部分になると思う。

 

あとは、現状と目標のギャップを見定めて、自分が自分に必要だと思うことを追求していくという意思や、自分に求める最低ラインの基準を引き上げることが必要だと感じる。

 

沸騰する前・沸騰した後

離陸する前・離陸した後

TOEICで目標点を超える前・目標点を超えた後

 

それに価値を感じる人であれば、

その前後では話が全く違うから。

 

 

それを自分にはできないと思って逃げるのは恥ずかしくないだろうか?

 

 

 

"苦しむこともまた才能の一つである。"

by   ドストエフスキー