信号機の意味と定量的学習の考察
学習も大事だが、ブログを書くこともまた重要であると思い始めてきた。
ちょっと前から、自分の頭の中に広がっている、外に出したくても出せないような考えがあって、そういう時こそブログで記そう!と思って今回の記事を書く。
みなさんご存知の信号機!
信号機の意義は当然わかると思うけど、以下の通り。
信号機とは、道路の交差点などにおいて
自動車や歩行者の通行の優先権を伝えるための装置である。
道路交通の安全を図りつつ、自動車を円滑に走行させることを
目的に設置される道路の付属施設である。
つまり、交差点などで危ないと思われるところに設置して、秩序守りまっせ!!
ってやつですよね。
一定期間ごとに赤と青を繰り返すことで秩序を保つわけです。
さらには、交差点でも、信号機のある交差点と信号機のない交差点もあります。
大概、信号機がある交差点というのは、過去に事故が起こったり、交通量がある一定以上あったりということがデータでわかっている箇所に設置されていると考えるのが当然でしょう。
でも、もしかしたら、ドライビングテクニックのあるドライバーの場合、信号機はわずらわしく感じるかもしれません。
信号機はただただ一定の間隔で赤と青を繰り返しているだけの機械です。
その、ただただ繰り返している機械に対して苛立ちを覚えたり、運転をうまいと思い込んでいる人や車通りの少ない場所によっては、信号を無視して通り過ぎていく人もいます。
でも、ほとんどの人は車が少なくても、信号機に従って運転をすることが当然だと思うのです。
で、
ここで、話を学習のことに切り替えます。
どんなことかと言うと、定量的学習の考察についてです。
今朝、ツイッターを見ていて、carinaさんが毎朝呟かれている、今日の学習やることリストを見ました。
すごいなーと思うと同時に、量は違えど、自分も毎日5文暗唱しているなぁ、とか、以前は○○していたなぁとか、ふと思ったのです。
で、今思うと、そういうことが実は一番学習を続けられる秘訣ではないのかと。
正直、僕は定量的であれば、自分ができると思えることならなんでもいいと思うのです。
たとえば、
・1日1章分ずつ問題集を進める
・1日5ページ問題集を進める
・1日5文暗唱する
・1日1記事、なんでもいいからジャパンタイムズアルファの記事を読む
・1日1回、英語の雑誌を開いてその開いたページだけ読む
・1日1時間、長文の勉強をする
・1日30分パート3のリスニングをする
・1週間で20時間勉強する
・1ヶ月で100時間勉強する
・1文書につき音読は10回する
・1文書につき音読は30回する
なんでもいいと思うです。
厳密に言うと、一章分進めるというのは、章によってページ数が違うかもしれないじゃないか!と思われるかもしれませんが、一章分進める、という章を量に例えると、定量的になります。
定量的に進めることの利点としては、自分にルールを作ることで、ルール通りに日々物事を進められる点です。
それは、1日の勉強時間であってもいいと思うのです。
とにかく、自分が一歩でも前に進めるように工夫して考えて、それがこなせるだけの信念があるのであれば、周りがなんと言おうとそれでいいのです。
定量的に学習をしていても、そんなのでは意味がない!とか、勉強時間を基準にしていても中身が大事だ!といって、批判をする人がいますが、そういう批判はあまりよくないのではないかと思うわけです。
自分も過去に一ヶ月強で300時間勉強すると打ち立てて、1日9時間ほど学習していたことがありますが、頑張れ!と声をかけてくれる人もいれば、一方で他の色んな人からいっぱい批判されたこともありました(笑)
時間だけ計測していても意味がない、というのはよく言われましたが、
勉強するのは本人だから、本人がやりたいように目標を作って、それに信念を持って従えるのであれば、正直勉強のやり方はなんでもいいと思うのです。
つまりは、自分で自分のルールを決めて、日々、自分の学習の秩序を保つのです。
昨日は頭が疲れていて学習がはかどりませんでしたが、毎日すると宣言している暗唱5文と今までの復習、パート7を1文書以上、リスニング毎日1つ以上の文章は聞いてオーバーラッピングする、ということに関しては何としてもクリアすることが最優先だったので、最低限それだけはしました。
それは、僕が日々それらをするという秩序を自分で作り上げからに他なりません。
批判をする人は、たいてい英語ができる人が多いです。
でも、その人たちは英語の勉強の仕方がわかっているから、その人たちの立場で言えるだけであって、
英語が苦手な人から見たら、日々の学習量を一定に保ち、ただそれをクリアしていくことに重点を置いた方が勉強が続くと思うのです。
それは、信号機の意義にすごく近いのではないかと思っています。
ただ、淡々とルールに従うのです。
ルールに従うことによって、日々の感情による学習のサボりを少しでも軽減できるのであればそれでいいと思っています。
特に、音読などについては、回数は人によって異なると思うですが、英語が苦手な人で、どれくらい繰り返せばいいかわからない人は、適当に20回とか30回って決めてこなせばいいと思っています。
正直、僕も何回くらいが正しいのか、今でもわかりません。
だけど、音読したいなと思う文書にであうと、きっちり30回音読することにしています。
29回でも、31回でもないのです。ちょうど30回です。
20回を超えたあたりからすらすら読めて、意味も問題なくなってくるのですが、自分は30回と決めているから30回するのです。
そこに深い意味はありません。
自分なりのルールです。
さらに言うと、たとえば30回目の音読で少し疑問点が出たとします。
でも僕は31回目の音読もしなければ、疑問点を軽く調べる程度で、そこで完全に解消することもしません。
なぜか?
それは、きっとその後も同じ論点が来た時は必ず疑問に思うと思うからです。
解決は次回に同じような論点が出てきたときでいいと思っています。
とにかく、学習の敷居を下げて、続けることが最優先だと思っています。
ただし、自分の作った秩序には、自分の中に信念があってほしいなと思うわけです。
自分で考えて考えて考えて、掘り下げて掘り下げて掘り下げて、自分のやるべきことを自分の哲学の中に落とし込んで、一見効率が悪いと思われるようなことでも、それに従って学習を継続できるのであれば、それでいいと思うのです。
多分、英語が好きな人は英語が苦手で生きてきた人の気持ちはわかり得ないと思います。
それは数学を嫌いな人に、数学ってこんなに面白んだぜ!って数学好きな人がいうのと同じだと思うからです。
中には、その話を聞いて、嫌いなことが好きになる人もまれにいるかもしれません。
でも、そのことが嫌いな人が嫌いな状態のまま上達していくことについて、何が必要かというと、信号機のようなルールがあるべきだと僕は思うのです。
ちなみに、今を持って英語には苦手意識バリバリです。
好きになりつつあるんですけどね、ちょっとずつだけど。
うまく表現できませんでしたが、少し思ったことを書きました。
”知ることだけでは充分ではない、それを使わないとけない。
やる気だけでは充分ではない、実行しないといけない”
by ゲーテ
明日も決めたことをやるのみです!
yun