母国語の大切さ
昨日したこと
・トトロの1周目を見終わった。
・横山カズ氏のパワー音読の本を少し進めた。
今日したこと
・横山カズ氏のパワー音読の本を少し進めた。
タイトルにもある通り、「母国語の大切さ」について感じたことをメモ程度に。
ここ数日、パワー音読の本を進めているが、
自分が目指している「英語ができる姿」っていうのが少しずつわかってきたかもしれない。
まだ、少しモヤモヤしている部分があるけど、
当初英語学習を始めた時は、漠然と英語が話せればなぁと思っていて、その時は全くと言っていいほど英語ができていなかった。
で、様々学習を繰り返してきてようやく今のレベルのところまできたけど、ここにきてようやく、自分が当初思い描いていた、漠然と英語が話せればなぁという部分がちょっとだけクリアになってきたと感じている。
それはおそらく、日本語で言いたいことをすぐに簡単な英語でも言えるということだと思う。
簡単な英語っていうと語弊があるかもしれない。
けれども、それは英語の短文を大量に作って意味を伝えるのではなくて、
一文が長い文を言いたい時に、限りなくそれに近い形で英語として伝えることではないか?ということだと自分では解釈している。
その中で、難しい表現を使わずに、簡単な単語や表現を使えるように自在に使いこなすことが大事だと思った。
英語は、我ら日本人にとっては強敵な第二言語なわけ。
まして、日本人が英語を習得するためには、限りなく膨大な時間が必要だという統計データまで目にすることがある。
日本語から見て、文法などの言語間距離が遠いだの、どうとかこうとか。
ということは、個人的に英語を学ぶ身としては、どこで線引きをするかが大事になってくると思う。
自分のように、特に会社で英語の力を上達すること自体が求められていないとか、今のままでも何ら問題のない状況の人にとっては尚更何か目指すべきところが必要になってくる。
で、僕の場合は、それが日本語を話すように英語を操れたらって思うところだと思う。
ただし先ほども書いたように、簡単な単語や表現を操る、ということが目的であって、英検1級で求められるような単語は今の所、必要に迫られていないし、おそらく必要に迫られるまで、そういうものには手を出さないと思う。
そういった、「なりたい姿」をある程度イメージすると、今勉強しているパワー音読の内容は、自分自身が目指している姿により近づけるものだな、と思う。
TOEICのLRには話す能力は求められていないから、特段スピーキングの練習はする必要はないと思うけど、スピーキングの練習をして上達したら、少なくともTOEICのLRにも何かしらよい影響は出ると思うし、出なかったとしてもスピーキングに自信が持てるというのは自分自身プラスになると感じてる。
本にも書かれていたが、気持ちを込めることはスピーキングの能力を上達させる上で大変重要なファクターの一つだと思うし、それには母国語を使って話すときと同じような感情、気持ちになることが重要だと感じた。
結局、僕ら日本人にとって、英語を英語そのもので理解すること!という点は最終的に目指すべきところではあるとは思うけど、それよりも前に母国語としての理解、母国語の運用という観点からの英語をもう少しじっくり掘り下げた方が良いのではないか?と思うことがある。
いきなり英語!というよりも、日本語の理解を先行してじっくりしてその英語にどっぷり浸かる準備ができてから、その英文に触れてもいいのではないか?
気持ちを込めて日本語を何度も読む。
それからその文に対応する英語に向き合うと、また違った考えが生まれる可能性も秘めてると思う。
yun