自分の能力が上がる時
万人に時間が平等に振られている反面、時間が仇となることもよくある。
勉強で結果を出そうとすると、隙間時間を見つけてしっかり集中して勉強をしていく必要があるが、なんとなく勉強したふりをしていたら、時間だけが過ぎていって後で後悔する経験をした人も多いんじゃないかって。
僕はもちろんそういう経験が多々あるから思うけど、そういうのって全然勉強になってないなって。
勉強しない、ということと比べると、まだ気持ちが勉強に向かっているだけいいのかもしれない。
けれど、その延長線上に目的とするものはあるのか?
物事を始めるきっかけとなるには、個人差はあったとしても、少なからず自分が目指すべき姿や目標地点があって、いつか未来の時点でそれが達成できていることを開始段階では誰しも考えるはず。
勉強したふりをしていてそれは叶うだろうか。
未来は今日の積み重ねの連続でしか成り立ってない。
誰がどうあがいても、自分が迎える未来というのは日々の延長線上にしかない。
子供にのみ未来があるのではなくて、大人にだって未来がある。
自分が思い描く未来を鮮明にイメージして、現在の自分がそれに向かって進めているのかを考える時間をもたなければいけない。
本当に、大人にだって未来はある。
もし、欲しいものがあるのなら努力しなければいけない。
水が欲しければ水を汲みに行かなければ手に入らないだろう。
最近は、気持ちがぐらついていたら努力を継続さえることはより難しいと思うようになった。
結局、どんなにいい方法があったとしても、それを成し遂げるだけの強い意思や考え方が根底にないと望む結果を手に入れることはできないことが自分自身わかりつつある。
具体的な成功事例が溢れかえっている世の中になっているにも関わらず、なぜ同様の目標を達成できない人がこんなにも多いか?
だから、テクニックとか、やり方とか、勉強の方法とか、そういうのって、気持ちの上に成り立っているものだと思うわけ。
絶対達成してやるという確固たる意思の上にテクニックや勉強方法を乗せる。
勉強方法は人によって異なるだろう。当然、手法や勉強方法は大事。
だけど、それ以前に心が決まっていない場合、いくらテクニックや方法を乗せたところで、上手く乗らないと思うよ、僕は。
気持ちにスイッチが入るだけで、一瞬で見る景色の方向は変えられると思う。
たったひとつ、少しだけでいい、確固たる気持ちを自分の奥底に据える。
どれほど好きなこと、嫌いなことをやっていても、必ずピンチなことがやってくる。
苦しく、もがき苦しむ状況は見方を変えればチャンスだ。
その時に必要なことは、それを乗り越えるだけの強い意思が奥底に準備されているかどうかではないだろうか?
(最近の自分への戒めの意味でこのブログを書いた。)
“やることを誰よりもたくさん抱えていて、
働く気のある人が、
もっともたくさんの時間を見出すことになる。“
By サミュエル・スマイルズ